見立てる
「見立てる」という言葉があります。
「見極める」と同義語のようなもんだと思いますが、この真意は「イメージする力」のように思います。
庭の仕事を始めた頃、兄弟子や師匠から叩き込まれたのは庭を植物を仕事をイメージする重要性で、その際に使う「見立てる」は「小さな言葉や1本の線だけの素材を頭の中で瞬時に立体・具現化すること」と解釈していました。
例えば人の庭を造る場合。
いつかどこかの旅先で見た庭がほしい、イギリスっぽいのにどこか侘び寂びのある庭がほしい・・・参考図書も写真もない中、施主の言葉や見た目からイメージする風景を探り、頭の中で組み立てていきます。
通常、個人宅の庭造りでは建築設計図のような詳細図はなく、施主に「あなたが望むのはこんな庭、風景ですよね」と確認する意味のおおまかな図面やイラストがある程度で、ここも造園業界の面白いところです。
(過去私が経験したのは初見の打ち合わせで画用紙に筆ペンで描いた水墨画のようなイメージ画がそのまま最後まで唯一の設計図となったことがありました。)
イメージする力がないといい庭も作れませんし、植え込みも剪定もできません。この枝を1本切ったらどう風景が変わるか、将来どんな樹形になるのか、来年どこに芽が出でてどう花が咲くのか。
そして感性。
作り手の技術と感性が合わさると、それは庭だろうと竹垣だろうとイメージを超越した芸術作品になる場合があります。
もちろん造園家だけでなく、どんな仕事も人も、見立てる力があってこその活躍がありますね。
画像は庭師をしていた頃に兄弟子からいただいた本です。
庭がまだ「山水」と呼ばれていた時代に書かれた本で、旧仮名メインの為に読解が難しすぎて「多分こんなこと書いているんだろうなぁ」と曖昧にしか見立てられない本。